12月見学視察会

活動種別:教育情報事業
開催日時:令和4年12月2日(金)~12月3日(土)
開催場所:宮城県仙台市~石巻市~東松島市・宮戸島
参加者数:会員13名

令和4年度見学視察会

参加者13名 1泊2日

・1日目
東京駅⇒仙台駅

石巻市・ARアプリを活用した「まち歩き」・震災伝承

東松島市・東松島市震災復興伝承館

仙台市内宿泊

・2日目
東松島市・宮戸島 月浜地区 23年度復興支援ボランティア地区視察

松島湾特別航路遊覧船⇒仙台⇒東京

仙台⇒東京

総括

はじめに

遡ること11年前、東北に未曽有の大震災が起きた。当時の青年部はボランティアとして震災から約6ヶ月後に宮城県東松島市を見学視察会で訪問した。当時は震災の爪痕が残り、がれきの撤去も進んでいないような地域も多くみられた。青年部が訪れた宮戸島月浜地区は津波の影響が甚大で、がれきの撤去は徐々に進んでいたものの多くの土砂が路面を覆い元の民家も流され、道路の場所もわからないような状況であった。当時の見学視察会のボランティアに参加した現会員は今ではわずか6名となっている。視察先を決定する際、当時を知らない会員も多くいたが、青年部に在籍していると20周年記念誌の記事や当時の話を耳にする機会も多く、「是非視察会で訪れてみたい」と言う意見もあり、今回の視察に至った。また、11月の勉強会では「ボランティアとは」という内容で初心に帰りボランティア活動についての見識を深めた。

令和4年度の見学視察会は12月2日・3日の1泊2日の日程で宮城県仙台市、石巻市、東松島市を訪れた。震災時の現地状況を学び、11年前に訪れた月浜地区の現状を視察するという内容であった。

新型コロナウイルスの影響により、青年部の視察会は令和元年度に行ったマレーシアへの見学視察会が最後となっており、約3年ぶりの視察会であった。今回の視察会も7月の時点では一時新規感染者が4万人を超える日も出てきたこともあり、「開催を見送ろうか」という話になっていた。しかし9月末ごろ感染者数の減少がみられ、「開催するなら今しかない」となり例年とは時期が異なるが12月に開催できる運びとなった。

1日目、東京駅から新幹線で仙台駅に向かった。この日はなんと早朝4時からワールドカップの日本対スペイン戦が行われていた。グループステージ突破をかけていた試合に見事勝利。早朝から興奮冷めやらぬまま新幹線はサッカーの話題で持ちきりであった。中には試合が行われていたことすら知らない会員や、試合は翌日と思い込みぐっすり寝ていた会員もいたとか・・・。

到着後、まず思ったのは寒い!であった。当日現地では初雪が観測され気温も4℃、夜中には-3℃まで冷える予報であった。最初の視察先は仙台駅からバスで1時間ほどのところにある石巻市に向かった。

ここではARアプリ活用したまち歩き・震災伝承というものを体験した。これはタブレット端末に震災前・震災直後・震災後・未来の画像が表示され、実際にその写真が撮影された場所へ行き現在との比較をしながら、説明を聴きまち歩きを行なうというものである。公益財団法人3.11メモリアルネットワークの藤間氏に震災時の様々な情報や当時のお話をしていただいた。写真に写っているように震災前と現在では本当に震災があったのかと思うほどに修復され、きれいになり人間の修繕力というか偉大だと思った。
ガイドさんの話によると未来の画像は当時想像もつかないような計画であったが11年たった今は見事に完成されたきれいな町となっていた。

昼食は右上の写真に写っている大正2年創業の割烹八幡家で鯨料理をいただいた。日本で鯨肉の処理を行える捕鯨基地は5箇所ありそのうちの1つが石巻市であるとの事だ。
午後は東松島市にある震災復興伝承館へ向かった。当館は被災したJR仙石線の旧野蒜駅の駅舎をそのまま活用し、震災当時この町で何が起きたのか、人は何を思ったのか、未来の災害に備えるために震災前の東松島の姿、震災が残した爪痕、復興の過程を通して後世に震災の記憶を伝えるために作られた施設である。旧野蒜駅は津波で1Fの天井部分まで到達するほどの津波を受け、現在も残されている当時の改札機や駅のホーム、線路がその凄まじさを物語っていた。現在の野蒜駅は約500m内陸部に行ったところに新設されている。

1Fには東松島氏の復興がメインに展示されていた。まず東日本大震災からの復旧と復興を年次別や項目ごとにされ、航空自衛隊基地の被害や復旧の状況のパネル展示してあり、かの有名なブルーインパルスの写真もあった。正式名称は宮城県松島基地の第四航空団に所属する「第11飛行隊」だそうだ。
千分の一羽鶴東松島2020のアート作品の展示もあった。震災後東松島市に寄せられたたくさんの人々の想いが込められた千羽鶴を感謝の気持ちを込めて制作したアート作品である。

2Fに行くと被災前の東松島市の様子や3.11当時の東松島氏の被害状況の様子、避難の記憶などリアルタイムでの被害の様子などを見ることができた。
東松島市が作成した東日本大震災の記録をスクリーンで上映していただき、当時の津波や地震の状況や被災に遭った方の話があり、話を聞くだけでとても怖く、辛い気持ちになった。ガイドしていただいたのが東松島市震災復興伝承館の安達氏でした。安達さんありがとうございました。

伝承館の1Fカウンターに東松島市のキャラクターである「イートくん・イ~ナちゃん」が描かれたマンホールカードを発見した。
初日の視察はここで終了となり夕食は仙台牛を提供しているすき焼きのお店にて親睦を深めた。

2日目はいよいよ11年前に訪れた宮戸島月浜地区へと向かった。バスの道中、プロ野球チーム楽天イーグルスの球場や東京オリンピック・パラリンピックの会場でも使用された宮城スタジアムなど景色を楽しんだ。

今回のメインである東松島市宮戸島月浜地区へ到着、東日本大震災後、当時の青年部のメンバーは平成23年度、24年度と復興支援活動に参加した。

今回の視察メンバーの中には前回の活動に参加したメンバーもおり、当時の写真と見比べながら月浜地区を見て歩いた。「当時ここは何もなかった」や「電柱がたっている」や「20キロ体重が増えた」など11年前との違いと変わりように驚いたり感心したりしていた。残念ながら青年部が当時設置作業をした、稲ヶ崎公園に向かう階段の手すりは撤去され拝むことはできなかったが手すりがある体で記念撮影をした。

11年前の写真と比べても道路の整備状況を見ても復興の素晴らしさがよくわかり、夏は月浜地区の海水浴場は多くのお客さんでにぎわうほどになったという。初めて月浜地区に来たメンバーも多く、当時の写真と見比べたりしながら、新鮮な気持ちで見学した。当時参加した先輩方の話を聞くとボランティア時の大変さや、震災の怖さなど写真でもわかるほどの変化や復興状況で、当時復興に携わった方の努力にとても感銘をうけた。

月浜地区からバスで移動し昼食へ、昼食は洗心庵で牡蠣を食べた。松島の牡蠣は小粒で身がしまっているのが特徴で、つやつやした乳白色のふっくらした身を味わえる生で食べるのがおすすめだそうだ。ちなみに我々がいただいたのは牡蠣鍋とカキフライである。昼食後、歩いて松島海岸の船乗り場に行き、松島湾特別航路で行く絶景遊覧船に乗った。

日本三景であり260を超える島がある松島の中でも絶景スポットの朴島、野々島、寒風沢島、桂島などを見て周った。
仙台の風は冷たくデッキに出ているとかなりの寒さであったが、それぞれの島には1つ1つに特徴があり自然にできたとは思えない形もあり、自然のすごさを痛感した。
一番記憶に残っているのが右の写真の仁王島である。見た中でも特に偉大というか、特徴的というか、とても自然にできた形とは思えなかった。仁王島の名前の由来はゴツゴツとした形状が、神話に登場する金剛力士像、通称仁王の姿に似ていることからこのような名前を付けられたそうだ。

最後になりますが、まず東日本大震災により、被災された方へご冥福をお祈りいたします。地震や、津波などほかの国ではあまり見られない自然災害ではありますが、復興支援、様々な方の努力により当時と変わらない状態になっている所もありました。人間の底力には本当に驚きました。いつかまた東日本大震災のような自然災害が起こるか分かりませんが、実際に被災した人々が後世に伝えていくことにより、可能な限りの予防策を講じることで、被害を最小限にすることができると考えます。これは私達の仕事にも共通していることだと思います。今後、これをより多くの人に伝えていく責任を感じました。この経験が出来たのも日頃より青年部活動にご理解、ご協力頂いております各関係者の皆様があってのことだと感じました。この場をお借りして深く感謝申し上げます。以上で令和4年度青年部見学視察会の報告とさせていただきます。

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